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2010年5月29日土曜日

5月29日 蓮華岳 中止
















































































28日夕方から長野へ向かいます。29日朝、しかし山は厚い曇で覆われ山行は中止を決めます、何も見えないガスの中を行ってもしょうがないですから。

里山の散策を決め込み青鬼に棚田を再訪します、今月3回目です。田には苗が植えられています、1番目の写真、曇天のため田んぼには青い空が映らず、また北アルプスも見えず、何のインパクトも無い写真です。晴天でないと良い風景写真は写せないですね、色も鮮やかになりませんし。
2番目の写真、集落手前では野生の藤の木が盛りです。

国道を北へ、糸魚川のひすい峡を目指します、その手前の3番目の写真、高浪の池、河川は無く湧水の流入流出のみ。近くに炭鉱があったとの事、しかし写真はあれどその名残りはただの一つもありません。日本は無常の文化、木と紙では全く残りませんですものねーー。
その先にひすい峡があります。4番目の写真国の天然記念物となっている川原の石が翡翠です。ただ険しい山間の急流で特に何も見るものはありません。

謎として奈良時代までここの翡翠が勾玉に利用されていたのですが、それ以後歴史から消えてしまいます。昭和の初めまで日本には翡翠は産出されず輸入された物と思われていたのです。
糸魚川で昼食後、国道を戻ります。白馬村だけ晴れていましたので、また青鬼に寄ります。5番目の写真、雲は山頂以外晴れて田の水に空を映し、良い感じです。1番目のとの較べて見て下さい。

その後、大峰高原へ行きます。フレーズが「長野県21世紀の森」とはいえ、ゴルフコースが作られたり1部上場JDLの大きな陳腐な保養所があったり、自然が破壊され人工になっている趣きです。
その手前6番目の写真が大峰高原の大楓です、昭和22年開拓団により根元から伐採されました、大きな根は取り除くのが困難でそのまま残されました。開拓は失敗だったのでしょう、その後昭和43年牧場が開かれた時、この木が再発見されます。21年で少し大木となった訳です。

50年前位までは巨木が数多くあったのでしょう、300名山で日本中を歩いていますが無残な林道跡や細い木々を見るにつけ、木は皆伐されたのでしょう。数十年しか生きない人間が千年以上生きる木を伐採するのは不尊だと本当に思います。

豊科のデニーズでお茶をして明日に再チャレンジと思っても山は厚い雲に覆われてしまっており帰京します。塩尻からは土砂降りです。ただ時節か景気か道はがら空きです。

とばして自宅に着きます。



2010年5月23日日曜日

5月22日 針の木岳 登頂
































































































5時40分、扇沢駐車場を出発します。雪が無いと大沢小屋まで左岸の夏道を歩くのですが、右岸に雪が残っており、その片斜面上を歩きます。1番下の写真が雪渓の全景。拡大すると大沢小屋が見えます。雪渓が伸びる最上部がマヤクボカール、その右が針の木岳です。
小屋の砂防ダムが雪渓の終端です。ここでシールを貼ってスキー登行を始めます。長い雪渓の登りが始まります。徐々に急となり、休み休み進みます。カール手前で直進する最低鞍部の針の木峠と、右へのマヤクボ沢へと別れますが、針の木岳を目指す方がほとんどで、私も右へ行きますが急斜面です。ここでスキーを担ぎ、アイゼンでの登行に変えます。すぐ側のはい松に雷鳥のつがいがいて写真を写します。オスは半分夏毛に、メスは全て夏毛に変わっています。

とにかく急斜面、カール手前と稜線手前はあえぎながら登ります。11時40分、稜線に到達します。ここで昼食と大休止にします。石の上に小1時間、寝転んでいました。
ピッケルを使いながら山頂へ向かいます。なかなかの景色です。1番上、すぐそばのスバリから右に爺ヶ岳、折り返す様に鹿島槍、五竜、白馬三山と北アルプスが日本海まで続きます。2番目が山頂から黒部湖、遠くに槍、別に剣の写真も写しましたが、剣はどこからでも見えて感動が無いなーー。3番目は山頂から雪渓を。


稜線まで戻り、滑降を開始します。急斜面ですので転倒しない様にして降ります。カールの淵ははい松帯になっており、針の木峠の方か、登って来たマヤクボ沢を降りるしかありません。カールはじょうごの様になっており、針の木雪渓へ向かいます。整地された様なデコボコの無い急斜面のスリルを楽しみます。
4番目の写真がカールを振り返ったもの、右がマヤクボ沢です。5番目がこれから滑る針の木雪渓。一気に滑り降ります。6番目が雪渓の半ば過ぎで。


大沢小屋からも右岸の雪の片斜面をかなり下まで滑って降りることができました。林道歩きで一緒になった神奈川からの3人組も「泊って明日蓮華岳の予定だったが天気が悪いので中止する」との事で、私もそれにならって帰る事にしました。





2010年5月20日木曜日

5月20日 美しい自然、景色、文化


















今月、偶然とても美しい景色の場所を発見しました。

今上皇太子殿下が結婚前の会見で「美しいものを、美しいと解る方を希望致します」とおっしゃれましたが、それには恵まれた家庭環境と高等教育が必要となります。


鳩山総理がHPで「人を(人格)育むのは趣味である」と記載されておられました。


趣味のある方は1割足らずではないでしょうか。政治家の方を多数名存じておりますが、趣味の話しは聞いたことは御座いません。
銀座のママ、ホステスさん、モデルさんといったお水系の方は範囲外というか、論外で山の話しを致しますと「カラオケはあるの」「歌ったり踊ったりする所はあるの」とうたわれます。
有名小説家で「無趣味の勧め」という出版をされた方もいらっしゃいます。

今月、偶然素晴らしい景色に出会いました。北アルプスが見える所で御座います。大きな道路標識に誘われ山間を走ります。間違ったのではないかと思わせる程、細い斜面をつづら折りに走ります。
橋を渡ってその場所は御座います。江戸時代、地元城主がそこでお茶会を催していたと納得する景色です。
1番目の写真は常念坊から大天井岳、2番目はそのダウン、3番目は遠くに爺ヶ岳から鹿島槍です。近くの山の新緑と遠くの北アルプスの残雪の対比が絵の様な景色です。4番目は並ぶ道祖神。
有名観光地では無いため誰1人として会いません。しかし、こんな山奥に古くからの民家は散在します。山桜の名所で2番目の写真の手前の山は4月20日頃に満開となるそうです。

侘び寂びを彷彿とさせる景色で御座います。此処は昵懇の「美しい自然」が解る方と訪れるのが最良でしょう。間違っても御令室様や親族、友人と訪れる場所では御座いません。
それなら1人で行かれる方がはるかにましでしょう、「美しい自然」が解る方なら。



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2010年5月17日月曜日

5月15日 白馬村 再訪















諸般の事情で白馬村を15日夜から再訪しました。16日早朝、青鬼(あおに)の棚田へ伺いましたところ、田に水が入り残雪の山を写し、それは良いものでした。朝6時というのに20人ほどが、カメラを携えていました。
真正面の山が五竜、その右が唐松です。2番目の写真は望遠で、中央が唐松です。左の2つの峰の方が高く見えます。「あそこから滑って来たのかー」と感慨。


この後、大町の東側の八坂に、同じく日本の棚田百選の重太郎棚田へも伺いましたが、こちらは山の中腹に作られており、ロケーション的には・・・・・・。

青鬼は山間の谷筋に細長く作られており、何といっても目の前の北アルプスでしょう。まさしく絵になる景色です。

3番目の写真は大町を挟んで北アの反対側にある鷹狩山、お弁当を持ってピクニックには最高です。正面は蓮華岳です。




2010年5月10日月曜日

5月2日 唐松岳 登頂





































































晴天です、ゴンドラ駅駐車場へ車を入れます。私で最後近く、昨日の倍以上の混みようです。昨日と同様、ゴンドラとリフトで通年営業の八方池山荘前へ行き、8時15分シール登行で出発します。
この地点で標行1800m以上でしょうか。途中、唐松山荘泊りの登山者が次々と下山してきます。

小屋泊りののんびり山行も、良いものかと思います。
第3ケルンを過ぎ下の樺(しものかんば)でやや急登となります。そのまま踏み跡を登行し皆と同じ尾根筋を行きます。その時、左下を巻いて行く山スキーヤー達を見ます。このコースを知っているのでしょう。
1番目の写真、丸山手前の広い緩斜面を登って行きます。低山と違い森林限界を越えてもいるせいか、雪は真っ白です。2番目の写真、丸山を過ぎ右手の白馬三山を写します。
ここから小さく急なピークや細いやせ尾根を行くことになります。3番目の写真ピーク越しに山頂。
ここで先行した山スキーヤー達は板を履き、下へ向け滑降して行きます。これから先は細いやせ尾根で、スキーでは登行も滑降も出来ない事が解っていたのでしょう。

小ピークではスキーを担いでツボ足で登りますが、アイゼンを付けなかったため四つん這いで行きます、両方落ちてやばい感じです。後続の登山者に背中のピッケルを取ってもらい、ピークに上がってからアイゼンを付けます。

4番目の写真、主稜線近くでコースを振り返る。中央奥が丸山ケルン、そして白馬村です。道は細くなり1、5m位、踏み跡の幅は50cm位、スキーを担いでいるため疲れます。主稜線手前30m位で大休止。もう右手にすぐ近くに山頂が見えます。ここで5番目の写真、山頂すぐ下の4人いるところから滑落者が出ます。左手岩と這松の所まで25m位落ちて行きます。叫び声や「落ちたーー」「大丈夫か、戻ってこれるかー」との声がはっきりと聞こえます。しばらく見ていましたが登り下りの登山者にそんなに変化が無かったのでコースに復帰したのでしょう。


ここでトラブルです、ザックの中が水浸しなのです。ゴンドラ駅の自販機で購入したミネラルウオーターがクランボン(スキーアイゼン)に当たって穴が空いているのです。水が入ったままでも握るとくしゃくしゃ音がするほどぺらぺらですものね。
あーあ、カメラも濡れていたわけです。すぐに電池とメモリを解放します。


その場に全てを置いて、稜線へ上がると剣や立山が見えます。稜線の5m下に唐松小屋、右にものの10数分で山頂です、12時半。ああー、空荷ですと本当に楽、勝手に体が前に出て行ってくれる感じです。ほんの少し霞む展望、下まで滑降するためデポ地点へ戻ります。
焼き栗を食べた後、小ピークまで行き滑降を始めます。丸山を過ぎてからは巻いて滑って行くのですが両サイドはかなりの崖なのでコースをつなげるのに、何度も思案します。
八方池山荘近くになると昨日はつながっていたのに、今日はもう切れて這い松が出ています。10数メートルですが、その上を行きます。

山荘からはゲレンデを滑ります。ゴンドラ駅のマックでホットコーヒーを飲みます。帰りのスキー客の長い行列がゴンドラの前に出来ています。

山スキー向けの山ではありませんから、疲れました。アイゼンで登った方がずっと楽だったとは思います。

天候の関係でしたが、長かったなーー。




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2010年5月3日月曜日

5月1日 唐松岳 途中中止



















起床すると青空の良い天気です。八方ゴンドラ駅駐車場へ車を入れ、7時半開始のアダムとリフト2本で八方池山荘前へ行き8時20分スキー登行を開始します。
1番目の写真、雪煙りが舞い上がる烈風です。GWだけあって多くの登山者がいます。スキーは他に1人でした。とにかく烈風です、第2ケルン、八方ケルン、第3ケルンと皆、休止して風がおさまるのを期待しますが、止む気配はありません。かかっていた雲は無くなり山々はきれいに見えますが。

私は汗だくの春スキーつもりでしたので、目だし帽もネックゲイターも持参していません、顔が冷たい。

第3ケルンの所で中止を決めます。2番目はそこから丸っこい2361mピークを写したもの、丸山はこの後ろになります、右に第1の帰らずの剣が見えます。拡大すると尾根筋を行く登山者が見えます。3番目はそこから白馬三山を、4番目は同じくそこから鹿島槍と五竜を。

シールをはずしてスキー滑降でリフトまで戻ります。続々と中止した登山者も下山してきます。
唐松山荘は営業しているので、そのまま登って宿泊した方も、かなりいたようです。
顔が冷えて午後まで冷たかったです。


ゲレンデを滑り、ゴンドラ駅のマックでコーヒーを飲み休息、ゲレンデは風も無く陽が差しスキー日和です。


八方スキー場は下部は雪が無く、下までスキー滑走ではもどれず、ゴンドラアダムで戻る事になります。11時には車に戻りましたので、池田町立美術館に向かいます。母親の寄贈と寄付によって作られた小島孝子の作品が出色です。小高い山の中腹に建てられた美術館は街を挟んで北アルプスが見え、なかなかの立地です。一目で解る常念坊が目立ちます。





4月29日から 唐松岳中止

















一応GWは雪倉、朝日そして唐松の予定でいましたので、28日夜から白馬村へ赴きました。29日朝、起きると雨なのです、話しにならないので東京へ帰宅します。松本からは土砂降りです。夕方から再び白馬村に赴きました。

30日朝、下界は陽が差しているのですが、山々は真っ白い雲に覆われています。吹雪ではないかと山行きは中止して街中で終日過ごすことを早々と決めます。(翌日会った登山者によると、やはり猛吹雪で中止したそうです)


十数年ぶりに白馬美術館と三枝美術館を訪れます。周りはペンション街になっていました。
その後、四十九院のこぶしへ行きますが、今年は寒く全く咲いていません。次に一帯が公園になっている大出の吊り橋に行きます。大きなコンクリの吊り橋でしたが。

その後、大池駅の手前から入る青鬼地区へ行きます。
上の写真3枚は青鬼(あおに)の棚田、最近は観光名所で夏等は観光客で溢れるそうです。田に水が入り、それに山々が映る風景が売りとのこと。
3番目の写真は棚田から八方を写したもの、絵になる景色です。2番目の写真、棚田はかなり奥まで続いています。1番目の写真、大きめの古民家はかやぶきはトタン屋根に変わっています。

その後、美術館巡りで夕方まで過ごしました。アルメニア人のジャン、ジャンセン美術館、週間新潮の表紙絵を連載中の成瀬政博氏のBANANA MOON、は素敵でした。安曇野市が力を入れているらしく多くの小さな美術館があります。






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